高尾稲荷神社(題字: 書家 美帆)

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高尾稲荷神社とは

尾稲荷神社(たかおいなりじんじゃ)は、東京都中央区日本橋箱崎町にある稲荷神社です。通称「尾稲荷」と呼ばれています。

御祭神は高尾大明神で、娼妓の最高位にあった尾太夫が祀られています。

当神社の由来

当社は、江戸時代の最も名高い遊女であった二代目高尾太夫をお祀りしています。

「太夫」は最高位の遊女に与えられる称号で、吉野太夫、夕霧太夫、高尾太夫が寛永三名妓と言われています。高尾太夫は花街吉原の三浦屋で受け継がれた名跡で、中でも二代目高尾太夫は最もよく知られ、歌舞伎や長唄の題材になるほど数々の逸話が残されています。

彼女は下野国の塩原塩釜村の百姓長介の娘で、名をあきといいました。吉原にある妓楼、三浦屋の主人四郎左衛門が塩原へ湯治に訪れた時にあきを大いに気に入り三浦屋へ引き取ったと言われています。二代目高尾太夫は容姿端麗、和歌俳諧に長じ、書は抜群、諸芸にも通じていたことから、名声は世に広まりました。「君は今 駒形あたり ホトトギス」は高尾太夫が詠んだ句として有名です。

仙台藩主伊達綱宗候は殊の外二代目高尾太夫を寵愛し、衣装と装飾品を着用した彼女の体重と同じだけの重さに相当する大金三千両を積んで彼女を身請けしました。しかし、彼女には既に意中の人がおり、操を立てて綱宗候の意には従わなかったため、万治2年(西暦1659年)12月、綱宗候の怒りを買った二代目高尾太夫は大川(隅田川)の三又(現在の日本橋中洲付近)の船中にて吊るし切りにされ、川に捨てられた遺体が北新堀河岸(現在の豊海橋付近)に流れ着き、当地に庵を構えていた僧侶がその遺体を手厚く葬ったとも一説には伝わっています。

不幸な最期を遂げた二代目高尾太夫に人々の同情が集まり、当地に社を建て、彼女の神霊「高尾大明神」を祀り高尾稲荷社としたのが、当社のはじまりです。以降300年にわたり、当地の住民に守り継がれてきた当社は、全国でも珍しく実物の頭蓋骨をご神体として社に安置していることでも知られています。

当社の社は元来旧永代橋(現在の永代橋よりも100m程上流側)西詰の場所にありましたが、倉庫の建設により現在の場所に移されました。社殿は昭和20年3月の空襲で焼失しましたが、戦後に再建され、その後昭和51年、令和4年の二度にわたる建て直しを経て、現在に至ります。

当神社の御利益

商売繁盛

当社は商売の神を祀る稲荷神社ですので、商売繁盛祈願に最適です。

夜の接客業等に従事される女性の願い事

二代目高尾太夫は、最高位の遊女として後世にまで様々な挿話が語り継がれるほど名高く、愛され続けてきました。夜の接客業その他諸々の風俗産業で働く方々の守り神として、仕事での成功はもちろん、様々な願い事も聞き届けてくれることでしょう。

学業成就

二代目高尾太夫は、高い教養を身に着け、和歌俳諧にも長じていましたので、学生や受験生そのほか学ばれている方々の学業成就祈願にもお勧めです

技芸上達

二代目高尾太夫は、能書家で、諸芸にも通じていましたので、書道その他の芸術、芸能に携わる方々の技芸上達祈願にもお勧めです。

夫婦円満 / 縁結び

二代目高尾太夫は、意中の人に操を立て、大金を積まれても決してその心は揺るぎませんでした。夫婦、恋人の絆をより強くすることや、そのような相手との出会いを祈願するのもお勧めです。

美容/自分磨き

二代目高尾太夫は、容姿端麗と謳われましたが、それに加え努力によって磨かれた人としての魅力があればこそ、多くの人から愛されました。美容運向上のほか、内面の美しさに磨きをかけたい方の祈願にもお勧めです

 

頭にまつわる願い事

江戸時代の文化11年に刊行された「願懸重宝記」という書物で最初に紹介されているのが当社です。これによると、当社で頭痛平癒を祈願する作法として、祠の中から櫛を借り受け、朝夕「高尾大明神」と祈願しながら髪をなでつけ、病気平癒の後にもう一枚の櫛を添えて社へ奉納するとあります。頭痛のほかに薄毛の人や頭部のできものの煩いある人も願懸けしてその験(しるし)疑いなしとされています。現在では櫛の作法は残っていませんが、頭にまつわる悩みを解消するご利益は今に伝えられています

遷宮祭

令和4年5月14日、仮社殿から新社殿への遷宮祭、並びに例大祭が執り行われました。

遷宮祭の模様は、中央社協の「まちひとサイト」でもご紹介いただいています。→ 中央社協の「まちひとサイト」へ

アクセス

水天宮前駅出口3より徒歩7分、茅場町駅出口4aより徒歩8分